2023年の夏頃に体調崩してから
だいぶ経ちました。
割と回復した方かなとは思うんですけれども、
「完全に治った!」って感じじゃなくて
「ある程度もうこれは治らないんじゃないかな」
と思うようになりました。
具体的にどういう症状かというと
何か頑張ったときに
「体の内側がビリビリとするような感覚」
があってそうなると体に「やめろ!」って
言われてるような感じがするというか
引き止められて何もできなくなってしまうような感じです。
この内側に感じるビリビリは一体何なんだろう?
それをしばらく考えた結果
おそらく自律神経由来なんじゃないかなと思いました。
神経ってダメージ受けるとビリビリするじゃないですか。
だから多分神経のダメージなんじゃないかなと思います。(ただの自己判断)
前の状態にもう完全には戻らないだろうし
もうこの状態と付き合って生きていくしかないんだろうなぁと思いました。
だとしたらやり方を変えるしかないと思って
どうすれば楽に作業ができるか考えた結果
ある程度楽だなと思える方法が見えてきました。
それについてちょっと具体的に書いてみます。
マインドフルになる
体がビリビリするときにやってる作業というのは
「それっぽいものをたくさん作って揃える作業」
が多いなと思いました。
なので1日に1枚を描いて仕上げるとか
頭の切り替えを短い時間でものすごくする作業が
かなりダメだなと思うようになりました
これって多分私がそういうのが得意とかそういう問題じゃなくて
人間はそもそも そういう作業に向いていないような気がします。
物理的に無理があるというか…
とにかく元々無理だったんだなと思うようになりました。
なのでも元々自分が心地良いと思うやり方をやる方向になっています。
そしてどうやったらビリビリせずに
作業できるのかと言うと
「1つのものの質感などの『中身』に集中してのめり込むようにやる」
とすごく心地よく作業ができて
体も楽な場合が多いなぁと思いました。
何かものに集中してそれに真剣に向き合う
ということは「今ここという現実」だけに向き合っていてマインドフルネス的な感じがするので
それで脳に良いというか
体も楽になるような感じがするんですよね。
だから今までの体がビリビリするような作業は
マインドレスネスな作業だったのかもしれません。
このマインドフルネスっぽいことについて考えると私の知り合いの落書き大好きマンの何人かが
「落書きは瞑想」とか「祈っているような感覚になる」
みたいなことを言っていたりしていて
あーわかるなぁとか思ったり…
落書きって「自分の心の中の浮かび上がってくるものを出す行為」
でその浮かび上がったものを自分の中で受容して受け流していく感じが瞑想に近いなぁというのは感じる。
だから落書きの絵とコンテンツの絵は全然違うなぁと思いました。
「落書き描いてる時間があれば人に見せられる絵を描けばいい」と思って長いこと落書きはしていなかったけれども
でも今考えると落書きしていた時ってすごく心が人間らしかったというか
自分の中に浮かび上がってくる感覚に正直だったような気がします。
一度立ち止まって自分の心の中の声を聞き
「やりたいかどうか」を聞いて
「『やりたい』以外のものはやらない」
と心の声の意見を叶えてあげることが
今の自分には大事な気がしてきました。
だから落書きしたいなって思った時は
また落書きしようかなぁと思うようになりました。
内面を見る
あと、もう一つ体がビリビリするだけじゃなくて頭が痛くなっちゃうようなこともあって
それがどういう時に起きるのかなって考えたときに思ったのは
「物事を表面的に見てしまっているとき」
に頭が痛くなっちゃうなぁと思うようになりました。
私の人生哲学では「何をしたかではなく、どういう状態になりたかったかで語った方が問題は気持ちよく解決できる」と思っているので
「誰が何をやった」とか「何かを言った」とかそういう議論を聞いたりすると
かなり精神が参ってくるような感じになってしまったなと思いました。(行動の理由が分からないから)
多分これもさっき言ったみたいに自分が得意かどうかじゃなくて
そもそも人間はこういう考え方が苦手なんだと思います。
だからみんなこういう話をすると苦しくなってしまうような気がします。
だから極力クリーンな話題に傾けるというか
そうするためにはあんまりSNSを見なくなったりするのが自然な流れになってしまったなぁと思います。
やっぱりインターネットって「誰が何をやった」と言う話が多くて
それが疲れる原因になってるような気がします。
だからもうちょっと内面について深く考える時間を多めに設けたいなと思いました。
例えば最近は観葉植物を育てたり定期便で野菜が届いたりするのですが
植物の野菜の質感を見ているとなんだかどこまでも遠くがあるような気がしていて
壁がない感じというか
こんなに小さいのになんだか深いものがあるように感じます。
それと野菜とか植物ごとに肌触りも違うし
身近にあるものだからあんまりまじまじと見ないかもしれないけど
よく見てみると深い世界が広がっているなぁと感じます
フォークを刺すとその部分だけ色が変わるとか
よく見ると面白い発見があって
なんだかマインドフルな気持ちになります。
そういう「今に意識を向ける」と言うことの大切さを身をもって感じるようになりました。
だからこれからはものづくりをするときは 「今自分がここにいるという感覚」
を大事にして進めていくというのが大事なんだなと思いました
自分が学生時代の頃に書いた
「気持ちよく作業してるときの感覚についてまとめたメモ」
があるんですが
それを時々今でも見ます。
その中に「意識が体から幽体離脱しているような客観的な感覚を持つ。操り人形になってるみたいな感じ」
と言う風に書かれているんですけど
もしかしたらそれって今の自分の体の状態に意識を向けるというか
マインドフルな心の状態のことを指しているのかもしれません。
昔の自分はそういうことに気付いていたけど
意外と一般的な言葉に落とし込めていないからなのか
大事なことなのに忘れてしまっている部分はあるのかなと思いました
あと若いのによくそんなことに気付いたなとちょっと昔の自分を褒めたくなりました。(他人事)
意外と何の圧力もない学生の時に思ったことって
かなり真理に近いようなことが結構あるように今は思います。
なので社会人生活において何か困ったなぁと思うようなことが起きたら
昔の自分がどんなふうに楽しく過ごしていたかということを振り返ると
意外と良い結論に向かうヒントがあるのかもしれません
内側を見通すようなそういう目線で生きることが
体の負担を減らしながら活動する上で大事なんじゃないかなと思いました。